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ザ・無駄話
「無駄」という言葉の語源が気になっている。「駄」が「無」いのに「無駄」。考えてみたら不思議だ。手元に日本語の語源を調べられるような資料がないので、ネットで検索してみたのだけれど、適切なサイトがみつからなかった。どなたかご存知の方、いらしたらぜひ教えてください。

* * *

きっかけは、先日ドイツ語の授業でやったミニテストの問題。
Sand in die Wüste zu tragen ist genauso überflüssig wie

a) Eulen nach Athen zu tragen
b) Säulen nach Athen zu tragen
c) Stelen nach Athen zu tragen

(Bastian Sick "Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod (Teil 3)", s.201)

日本語に訳すとこんな↓感じ。(「~」にあてはまるものを選ぶ。)
砂漠に砂を運ぶことは、
アテネに~を持って行くのと同様に無駄である。

a) フクロウ
b) 円柱
c) 墓表(銘や死者の像などを刻んだ石盤)

要するに、ドイツ語には「無駄なことをする」という意味で「アテネに~を持って行く」という言い方があるのだけれど知っていますか?という問題で、私を含むクラスの過半数はあてずっぽうで「円柱」と答えた。が、正解は「フクロウ」だった。フクロウは知性の象徴、学問と芸術の女神アテネに従う聖なる鳥、なのだそうだ。

その後、フランス人受講生が「フランスでは「川に水を持っていく」という表現を使う」と言ったのを皮切りに、クラスのみんなの出身各国で同義の慣用表現はどうなっているか、という話になった。イタリア、スペイン、ハンガリー、ポーランド、チェコ、ギリシャでは(どこがどれだったか忘れてしまったけど)「森に木」あるいは「海に水」あるいは「川に水」。

私には最後に順番がまわってきたのだが、みんなが次々スラスラ発表する中、頭をフル回転しても日本語でそれに相当するものがまったく思い浮かばなかった。ピッタリなものが何かあったはず・・・と思うのだが、

のれんに腕押し
ぬかにクギ
蛇に足

など、思いつく表現はどれも(「無駄なこと」ではあるが)少し意味が違う。アテネにフクロウは「まにあっているので必要ない」わけだが、「腕押しが足りているのれん」とか「クギがたっぷりと入っているぬか」なんてホラーだし、「足が十分にある蛇」に至っては「蛇足」という言葉の存在を根本から揺るがす。笑

豚に真珠
猫に小判
馬の耳に念仏

など、さらに別種の「無駄」が幾つか思い浮かんだものの結局ピッタリくるものには思い当たらず、「何かあったと思うのですが、すぐには思い出せません」と答えるしかなかった。

家に帰ってきてネットで検索をしてみると「アテネにフクロウ」「ニューカッスルに石炭」(というのが英語にあるそうだ)に相当する日本語の慣用表現として「釈迦に説法」「河童に水練」などが挙げられていた。なるほど、「釈迦に説法」は紹介したかったなぁ・・・その場で思いつかなかったのがとても残念。(河童の方は思いついたとしても河童の説明から始めなければならないのがちょっと厄介だけど。)しかしながら、これらは誰かに何かを教えるというシチュエーションに限定されて使われる表現、という気がする。もう少し幅広く使われる、まさにピッタリな表現をご存知の方、いらしたらぜひ教えてください。
by kyuco | 2006-12-08 13:52 | 言語-ドイツ語/外国語
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